【連載】掌の物語(15)たくましいトンボ・樹 亜希

 会う人みんなが言う。
「もう、暑いのは飽きた」
 京都では、年々夏の期間が長くなり、冬になればまた、底冷えしてたいそう冷える。なのに、体温を越えて、四十度近い気温が何十日も連続すると、からだから精気が汗とともに、流されて行く気がする。
 私がまだ、学生で若かった頃は祇園祭が楽しみで、大文字もそこそこ嬉しく思った。本当は宗教行事で故人がお盆の間におもどりになり、また、彼岸の向こうへお戻りになる。それが大文字の送り火なのだ。

「今年は一緒に行けるよね」
「いや、まだ、だめだ。誰が見ているかわからない」
「あれだけの人がいて、外人だらけなんだし、わかんないって」
「だめだ」
「つまんない」
「これは、ちゃんとしないと」
「私たち、なんなの?」
 ため息とともに私は目の前の人に言う。
「前も注意されたんだ」
「誰?」
「校長先生」
 私は言葉に詰まった。祇園祭に行った時のことだろうか、それとも別のどこか?
「遙佳とのことは、俺も真剣だからこそ。ここで終わりたくないし、時間がかかる。それはわかってくれただろう?」
「うん……」
「だけど、しょうがないんだ」
「もう大学生なんだよ、私。恭介さんと私は卒業生の間柄じゃない」
「それは、そうなんだけど」
「もう、私のこと、面倒になってきた? それとも他に好きな人ができた?」
「そんなこと、あるはずない。だけど、少し距離をおかないか?」
「イヤです。そのうち連絡も取れなくなって、消滅してしまうのを待つつもりでしょ」
 私は、これ以上恭介さんの言い訳と辛そうな横顔を見るのが辛くなった。私の心は、これ以上もたない。壊れそうになっていた。
 比叡山のドライブの帰り道、北白川の喫茶店にいたが、私はいたたまれなくなってしまった。店を飛び出した私は、一人歩道を歩いていた。どこへ行くともない。ただ、一人になりたいだけだった。
 蒸し暑い、まとわりつくような風が吹くと私の周りに檻ができる。
 歩道に空車があり、私は手をあげてタクシーに乗り込んだ。
「二条城の近くまで、お願いします」
「はい」
 クーラーがあまり効いていない車内に一人。
 いつも帰りはマンションの近くまで送ってくれた人を置いてきた。
 携帯を見ても、メールは来ていない。
 これで終わるのかな、私たちと思っていた。
 二条城の壕が白くライトアップされていて、夜間のイベントがあり、たくさんの人が列を成している。
 私はその少し先でタクシーを降りた。
 その北側まで歩いて見たかった。
 歩道には植え込みがあり、トンボが止まっていた。
 台風前の強い風がざっと、吹いた。
 私は髪の乱れを気にした、少し立ち止まる。
 しかし、トンボは必死で、しがみついて飛ばされないようにしていた。
 夜だから何色かはわからない、赤とんぼの時期まで少し早いので、ギンヤンマだろうか。
「つよいな」
 大きな目はまっすぐに前を見ていた。
 私はどうだろう。
 強い風に流されて逃げてしまった。
 恭介さんの車のテールランプが目の前に見えた。
 見覚えのある丸いテール。
 私はその車の横を歩かずに、通りを渡って反対側を歩いた。
「遙佳!」
 私は呼ばれた名前を無視して歩く。
 車から出てきた人が、私を追いかけて走るのがわかった。
 私は建設中の外資系ホテルの横の路地へと曲がる。
 マンションまで、あと少し。
 私は向かい風に立ち向かうように、早く歩いたつもりだった。
「まてよ」
 腕を掴まれて、バランスを崩しそうになった。抱きしめられて、いつものたばこの香りに涙が出そうになる。私はこの人から、離れることなどできやしないのに。

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