【連載】掌の物語⑨ いい季節なのに・樹 亜希

 私は仕事の帰りに大型マーケットの二階にある、モスバーガーで、野菜が多めのバーガーにかぶりついていた。トマトが唇の端から出てきそうになり、慌てて紙のナプキンで押さえる。
 目の下には大きな道路故に、交通量が絶えることはない。
 光、ハロゲンの白色とテールランプの赤色が夜の終わりがないことを示しているようだった。
 私の住んでいた滋賀県のある場所では、この時間なら最終バスが終わり、自家用車が田んぼや畑の間を数台走る程度のことだった。おまけにバーガー店ということで、外国人の客が多くて英語が飛び交う。

 桜の季節が終わっても、コロナが席巻していた頃とは大きく風景が変わった。観光客や修学旅行の学生たちの姿もなく、地元の人も顔には大きなマスクを付けて、心なしか、街が死んだように思えた。
 私と康生はこんな時期に出会った。二年前のことだ。

 このマーケットのドラッグストアで、マスクを探していた時に品定めをする彼を見た。そして、薬剤師からコロナの検査試薬を買おうとしていた私の後ろに彼は、いた。
「これって高いですよね」
「ほんまに、でもこれで陽性ってちゃんと反応でるのかな」
「それね、そこが問題ですよね」
「どうせ、病院に行っても風邪の薬しか貰えないなら、これを一個買っておけば、誰にも迷惑かけないし」
「他人にうつすことがなければ」
「ですね」

 自然と会話が成立する不思議に、私は前からの知り合いのような、気がしてきた。
「学生さんですか?」
「はい、でも大学なんか、もうほとんど行けていませんがね」
「そうよね、私も。卒論出したら卒業。就職も決まってるけれど、面接もリモートだったし、会社訪問も一度だけ。なんか、不安」
「そうなんだ。僕もほんとうなら、同じ学年なんだけれど、浪人してるから三回生なんだ」
「あ、そう。じゃあ京大?」
「いちおう」
「かしこ」
「そんなことないですよ。少し勉強したら入れそうな」
「嫌み?」
「ごめんなさい、そんなつもりは」
「立ち話も何だから、モスでもいく?」

 この時期は今と違って客が少ないので早く営業が終わるから、ギリギリに飛び込んだ。ここでの会話のあと、私と康生は自然と友人になり、その関係性は深みを増して、お互いの部屋を行き来する間柄になった。お互いに一人暮らしであることから、ハードルは低い。

 この関係がずぅっと続くのかなと思い始めていた。
 それは私だけだったのだろうか。康生も同じ気持ちだと思っていたのに。ある出来事が起こりギクシャクした。

 私が就職して一年が過ぎて二年目を迎えた時だった。
 毎月来るはずの、お知らせが二ヶ月飛んだ。私はいつものドラッグストアで、妊娠検査薬を購入して部屋に戻った。すぐさまトイレに入るとドキドキする気持ちに蓋をした。
 十五分後に結果がでる。
 恐る恐るトイレに入って試薬をみる。予想を裏切らない結果。
 それは妊娠の可能性を示していた。どうしたらいいのだろうか。母には言えない。康生に……。
 スマホを取りLINEを送る。
 仕事中なのだろうか、康生も大学を卒業して就職したばかりの五月に、すぐさま、自分のスマホなどみられるはずもない。
 夜になり、既読がついた。しかし、返事はない。
 私は電話をした。でもでない。彼は私に電話をすることもなければ、LINEの返事もしなかった。
 一週間ほど連絡が取れずにいたので、私はこれで終わりだと思った。
 しかし、そのあと、私の部屋に見知らぬ女性とともに康生はやってきた。
「ごめんなさい、康生の母です」
「え」
 私はどういうリアクションをしていいのかわからず、立ち尽くした。
「瑤子、ごめん。急に押しかけて。北海道に帰ってとにかく母だけ連れてきた。外に出られる?」
「いいけど……」

 私は近くに喫茶店がないから、どうしたらいいのかもわからず、康生の母と三人で少し歩いた。二条城近くのカフェに入る。
「瑤子さん、急にごめんなさいね。驚かせて。体調はいかがですか」
「それは……」
「ごめん、瑤子。とにかく両親に話して入籍をすることを報告に帰っていたんだ。その前に後輩が急病で出張に行かなければならず、連絡ができなかった」
 私はそれでも、電話はできるだろうとかなり、苦しい言い訳の連発に少しイライラしていた。
「でも、まだ、病院には行っていないから。妊娠が決定したわけじゃないし」
「あ、病院はまだなの?」
 彼の母親が驚いた顔をした。
 康生と母親のほっとした感じに私は、なんだか急にさめた。

 そのあと、康生の母は彼のマンションの部屋に数日いて、北海道に帰った。私は病院へ行くと、妊娠していないことが判明した。康生とそのあと、色々と話し合った私は、少し距離を置くことにした。

 一番そばにいてほしい時に、私に相談もなく話を進めてしまうことは、本当なら、嬉しいと思う人もいるのだろうが、私はそうは思えなかった。私と問題の解決をせずに自分の親を優先したように感じた。
 そのあと、なんとなく別れたような感じになり、今がある。
 出会った頃のように、笑って康生と話せない私がいた。

 私は今、夜の少し冷たい空気に吹かれて一人歩いていた。
 左手の小指はあのあと、怪我をして曲がらなくなった。この手をみたら康生はどんな顔をするのだろうと思っていた。あれから半年が過ぎて、どんな顔で康生に会えばいいのかわからない、私がいた。

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