写真短歌– tag –
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【連載】写真短歌(11)・・川喜田 晶子
往く雲のほつれて空となるごとく わが身の端の何処(どこ)からか君 川喜田晶子 形あるものがその形を喪うさまを見守るのは、とても心細いものですが、同時に、その心細さを心強さに変換し、執着を超えさせようとする、なにものかの意思に背中を押されているような気もいたします。いつの間にか空となる雲の在りように見とれながら、〈呼吸〉を整えています。 -
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【連載】写真短歌(10)・・川喜田 晶子
「ただいま」と「はじめまして」の等しさをくちうつされて秋は来にけり川喜田 晶子 萩の枝先に舞い降りた蝶は、「ただいま」と言っているのでしょうか。それとも「はじめまして」と言っているのでしょうか。萩は去年の萩ではなく、蝶も去年の蝶ではないはずですが、そこには、不思議な約束の匂いがして、間違えずにこの枝に舞い降りたのだ、という確かな気配が漂っています。絶対的な懐かしさと新鮮さ。その融合の相を見誤らないことこそが、生きる上でなにごとかなのだとおもわれます。「おかえり」。そして「は... -
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【連載】写真短歌(9)・・川喜田 晶子
君にだけ軌跡の見える火矢ひとつ つがへて秋の芯を射るなり 川喜田 晶子 その人にしか見えない世界を歌う歌。その人にしか見えない世界をその人にしか描けないように描く作品。それらが〈個〉の殻を打ち破って他者に届くのは、思えばとても不思議なことです。この人は、自分のために歌ってくれているのではないか。自分のために描いてくれているのではないか。この人はなぜ、自分の心の扉をこんなにもやすやすと開けてしまうのだろう。少し青春の匂いのする、そのような出逢いの甘さも苦さも掬い上げつつ、孤独... -
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【連載】写真短歌(8)・・川喜田 晶子
天地(あめつち)にはじめましてを言ふ前の儀式のごとく日々蕾みをり川喜田晶子 今まさに開こうという桔梗の蕾の中には、どれほどの宝物が詰まっていることでしょう。はち切れそうなそのふくらみを見るたびに、目が開く前の乳児の世界風景を想い描いてしまいます。大人になってゆけば切り棄てなければならない幼児性ではなく、大人になってゆくためにこそ必要な、あらん限りの幼児性のきらめきと、おそらくは数々の前世の記憶が適切に濾過されてできた雫もまた満ち満ちて。そのような記憶をたぐり寄せながら、今日... -
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【連載】写真短歌(7)・・川喜田 晶子
素足にてわが魂の底の底 降り立つ君の夏は光れり川喜田晶子 祭りの折には舞楽などが奉納される、神社の舞殿。ふだんは、細い縄が張りめぐらされ、紙垂(しで)が風に揺れています。古びた木の床を眺めておりますと、異界から降りて来た神というもののその足裏が、まさに床に触れる瞬間の心持ちを想像せずにはいられません。聖と俗の鮮やかでやわらかな出会いの感触が、記憶の底の底からこみ上げてくるようです。 -
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【連載】写真短歌(6)・・川喜田 晶子
うつし世をはみ出してゐるたましひよ いざまろびゆけ早苗田(さなへだ)の上 川喜田晶子 この現世においては、どうも居心地が悪い魂の持ち主。ともすれば魂の方が、現世の外へ外へとはみ出していってしまう。ところが、そういう人こそ、その現世への激しい憧憬・愛着を抱いていたりするのですから、話は単純ではありません。あどけない表情の稲の赤ちゃんたちがやさしく整列する早苗田は、胸が痛くなるような青を湛えて澄んでいます。日本人の原風景として、〈日常〉の温かな象徴でありながら、かくも青々と澄ん... -
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【連載】写真短歌(5)・・川喜田 晶子
合はす掌(て)の芯に灯りて 天地(あめつち)をほのかに統(す)ぶる わがれんげ草川喜田晶子 三歳から五歳くらいのことだったでしょうか。ものごころのつき始めた私の〈日常〉のすぐ隣に、春になると広大なれんげ畑が現われました。むさぼるように、その淡い紫のひろがりに眺め入っていた記憶があります。幼い心にその光景は、永遠とか無辺、もうひとつの世界といったものの匂いを、やさしく焼きつけてくれたように思われます。何かを祈るとき、私の合掌の内側には、今も果てしなくひろがるれんげ野が在り、聖... -
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【連載】写真短歌(4)・・川喜田 晶子
春湖(はるうみ)の抱けるかぎりの現世(うつしよ)の孤独の影に筆浸さまし -
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【連載】写真短歌(3)・・川喜田 晶子
今宵また君の深みへ身を投げて月の素顔に逢ひにけるかも -
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【連載】写真短歌(2)・・川喜田 晶子
真つ白な君の静寂(しじま)のひと呼吸 抱いた剣(つるぎ)の目ざむるやうに
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