【連載】掌の物語(13)それは無理なことで… ・樹 亜希

AIで作成

 俺はこの夏に絶対、髪を染めると決めていた。
 校則では、極端な髪色に染める、極端な刈り上げ、もしくはツーブロックは禁止されている。たかが髪の毛の色など、どうでもいいことなのだ。それを言うなら、アメリカ人の父親を持つ、ヘンゼルと、ケイトの双子なんて金髪じゃねーか。
 それはよくて、なんで日本人はだめなのか。
 偏差値が高くて、このままならば東大も京大も合格できるのではないだろうかという、成績を取っている。さほど、ガリ勉でもないが、一度読んだら理解できてしまうので努力をするほどのこともないし、夏休みに塾や予備校の夏期講習などに行く必要はないし、クラブ活動なんてめんどくさいし、暑いしやらない。
 部屋の温度を二十五度ほどに冷やしてゲームでもしようか、それともアマプラで映画でも見ようかと思っていた。
 ラインの通知音が鳴る。
 去年から付き合い始めたかわいい彼女、里央からだった。
「礼人(ライト)朝から夏期講習行った帰りに、寄ってもいいかな?」
 それはいつものこと、ここで夜の遅い時間まで過ごして里央は家に帰るのが、日課だ。夏休みも、そうでなくても……。
「いいよ、ちょうど暇にしていたんだ。コンビニで、冷製パスタとコロッケパン、あったらだけど、ブリーチを買ってきてくれないか?」
「いいよ。わかった。じゃね」

 短い会話で頭も軽いし気を遣わない。素直な、顔がいいだけの里央のことが俺は好きだった。付き合う女の子は、理屈くさくない、メンヘラじゃない、俺の横にいても、見劣りがしない程度に整っていたら、誰でもよかった。
「お待たせ」
「ありがと」
 オートロックの高級分譲マンションの三階に俺の部屋はある。
 同じ京都に実家はあるのだが、大学へ通うのに、二時間ほどかかるので、俺の親が大学に近いところがいいだろうと、高校生のうちに、俺が一人で住んでいる。高校も公立の進学校で、やっぱり自宅からは遠いのだ。
 郡部というほど遠くはないが、京都の碁盤の目の中は少し狭苦しくてはじめは落ち着かなかったが、いざ、ここに一人で住んでみたら、自転車で高校へ行けるし、通学のストレスも何もなかった。
「これ、私のサンドイッチ。食べる?」
「いいや、里央のぶんだろ、自分で食べな」
「そう、ありがと」
「なあ、髪のブリーチは?」
 え、ないじゃないか。俺は内心苛立った。悪い子じゃなけれど、少しどんくさいところがある。
「あれぁ? メンズの買ったはずなのに」
「入ってないよ」
「ちゃんと買ったよ。ほれ、レシート」
 確かに里央が渡したレシートには、印字されている。
「ほんとだなあ。おとした?」
「落とさないよ、里央」
「ごめん、もういいよ。通販で今すぐ注文したら、明日には宅配ボックスに届くだろう」
「美容院に行けばいいのに。里央の行くサロン、いく?」
「いや、そういうところでカルテだの、ヒアリングだとか、うざいだろう。家でできるなら、それがいい」
「礼人は本当に面倒くさがりなんだから。でもご両親と会ったら怒られるんじゃない?」
「大丈夫だ、大学に合格して、親父の会社よりも上の会社に入ればそれでいいだけのこと。夏休みが終わる頃には黒髪にもどしたら、いい」

 その日は、夕方に里央は自宅へ帰った。
 お金持ちのお嬢さん、里央は京都市内の鴨川が流れる、高級住宅地に実家がある。俺は田舎の人間だから、少しだけ里央が羨ましい。だけどこのマンションに一人で暮らしていけるだけの経済力が俺の親にはあるのだから、ま、いいかと思っている。

 次の日の午前中には宅配ボックスに、俺の好みのキャラメルブラウンのヘアカラーが届いた。少しボロい、黒のTシャツを着て、洗面台で取説の通りに、髪に薬剤を塗っていくと、一五分ほどで塗布し終わる。
 鏡で見えるのだが、黒髪がいい感じに色が変わっていくのがわかる。
 俺はとてもいい気分で、スマホのタイマーでできあがる時間を待っていた。と、そのときだ、突然、廊下からけたたましい音がする。なんだろう。俺はそのまま、外に出た。
 なんと隣の部屋の玄関のアラームが朱く点滅していて、どうやらそこから、音がしているようだった。少し前に、どこかでマンションの一部屋が吹き飛んだニュースを見たことがあり、俺はスマホと、財布、部屋の鍵を持って部屋の鍵を閉めるとエレベーターに乗った。
 周りの部屋の人は仕事で不在の人が多くて、誰も出てこなかった。
 一階の管理人室を除くが、そこもけたたましい音がしていて、誰もいなかった。しばらくエントランスにある椅子に座っていると、セコムの隊員が二人駆けつけた。
 俺は頭皮と、首筋にかゆみを感じた。
 そうだ、ヘアカラーをつけたまま、三十分ほど経過していたのだ。
 マンションの次の信号に、ノラという名前の美容院があったはずだ。俺はそこへ飛び込んで、ことの顛末を伝えて、塗布した薬剤を洗い流してもらった。
「あ、えらいこっちゃ」
「え」
 老夫婦が営む美容院は、こぎれいで、クーラーがよく効いていた。
「お兄さん、これはブリーチ剤だから、時間をおきすぎて銀色みたいになってまっせ」
「まじっすっか?」
「はい。起こしますよ。自分で見て」
 俺は大きな鏡に映るアニメのヒーローのような髪色を見た。
 かっこいが、かなり飛んでいる。
 まあ、いいか。隣の部屋の警報器のせいで、こんなことになってしまった。しかし、学校へ行くまであとひとつきあるので、今年の夏はこの色でいることにしようと思った。

 そろそろ騒ぎが収まったと思い、俺はマンションへ戻ると、まえの道路にはパトカーまで来ていて大騒ぎになっていた。
「なにかありましたか?」
「あなたは?」
「ここの住民ですが」
「警報が鳴って警備会社が部屋に入ったら……」

 隣の住民は練炭自殺していた。

 俺は何も知らずに。
 事故物件、となり。
 どんな人かは見たことがないし、知らない。
 でも、少し無理かも知れない。
「ところで、防犯カメラには最後にこの部屋に入った人物がいて、それがお兄さんのような、銀髪の若い男性なんですが」

 ちょっと待って。俺は今、銀髪になっただけだから。
 それ、俺じゃないから。いい加減にしろよ、迷惑なんだよ。隣のやつ。

                      了

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