【連載】掌の物語⑦ 思い出搾取・樹 亜希

私は毎日、知り合いも友人もいないこの東京の雑踏の中で一人戦っていた。もちろん先輩や上司、メンターのみんなに支えられて仕事ができていることは承知している。無理にではないが、自然とヒリヒリする現場の中で、疎まれない程度にいい顔ができるようになっている。
 どこへ行ってもお姉さんなんでしょ? 弟がいる感じ。とか、お姉さんがいる感じなどと、勝手に想像されるのだが、私は本物の一人娘である。母親が男の子の子育てをしたくないと強く念じて、私が女としてこの世に生を受けた。
 それだけに、甘やかされたと世間で後ろ指を指されないように、母は私を厳しく躾けてくれたおかげなのだろうか、それとも、こんな童顔のせいだろうか、職場でも学生時代もみんなから、好かれていると思っていた。

 小学校時代は何も面白くなかった。
 勉強ができすぎて色眼鏡で見られたから、同級生からは相手にされなくて、授業は全てわかっていることの羅列でためいきがでた。馴れ馴れしい教育実習の学生には辟易していた。

 中学受験を突破した時から、世間が広がった。
 市内の全区域から集まった、変人や秀才、天才などの中で私は今も時々会えるような友人に恵まれた。そして学び舎を飛び出して誰も受験しなかったであろう大学へと私は進学した。
 大学時代の友人は今も連絡を取り合い、帰京するたびに大阪あたりで、買い物や食事をしてお互いに置かれた場所での報告をしていた。
 その中で何度も大学をやめて郷里の岡山へ帰りたいと嘆いていた、澪に彼氏ができたと聞いた。
「うちな、コンタクトにしたんよ」
「あれだけ、怖いとか、お金がかかるとか言ってたよね」
「就活の時に何回かつかいよるとき、便利やなとおもうてた」
 私は知っている、男がいると。澪は高校時代も大学時代も彼氏がいたが、就職した自動車販売店の三歳先輩の人が、何度も食事に誘って来ると言っていたが、最近その話をしなくなったからだ。
「夏希、この服にあいよる」
「そうかな? 私には少し細めな気がする」
「これで旅行いけばいい」
「じゃあ、買おうかな」
 商品の値段札は二万円でお釣りがでる程度の金額。
 澪が言うから、買ってみた。

 それから二ヶ月後の三月の初めに長崎へいくという、旅行の予約をしていた。でも、私の母が自転車事故に遭い、救急車で運ばれて入院してしまった。コロナの関係で付き添いや見舞いは禁止されたままの大きな病院に入院している関係で父も着替えなどを受け付けに運んだのは二回だけだった。
 ここで澪と旅行に行くなどと言えるはずもない。
 でも私は東京にいるので、何もできない。

 澪から電話があった
「夏希、ごめん。体調が悪くて旅行無理っぽい」
「大丈夫?」
「うん、熱があって。コロナでもインフルでもないけど、夏希にうつしたらだめだと思って」
「うん、今ならキャンセルできる。また今度いこう」
「そやね、ごめん」
 短い会話だった。澪の声は喉がかれているでもなくて、鼻声でもなかった。おそらく同棲している男に何か言われたか、やんごとない事情があってのことだろうと薄々感じていた。
 あの男とは合わない。
 つまらない男だった、それは私に取って、何も価値のない男であるが、澪にとっては私よりも大事な人なのだろう。
 あんな男、澪にもったいない。

 大学の部活の時に選手である澪とマネージャーをしていた私はお互いに励まし合う関係だった。大学時代の澪の彼氏もその、水泳部の先輩だった。
 その彼とも卒業と同時に自然に消滅していた。
 彼がいなくなり、クラブも辞めた、澪。

 三月が過ぎて、忙しい仕事が一段落したので、私は退院している母の様子を見るために帰京した。
 思ったより、重傷だった母も気丈に振る舞い、骨折した膝を引きずりながらも、口と頭だけはいつもと同じに動いていた。私が澪のことを言うと、
「それは妊娠ちゃう?」
「え?」
「去年から同棲してるんやろ、その二人。そろそろできてもおかしくない」
「でも澪は不順だからって」
「だからこそ適当にしてるとそのときが排卵日なら、危ないって」
「まさか……」

 母の勘はいつも鋭い。
 自分のことは良くわからずにいるけれども、それ以外のことは恐ろしく的確で、辛辣だった。そしてこの件もあてた。

 他の友人からLINEで聞いた。
 澪は八月に母になると、そして、三月の末に入籍したらしい。
 親友だと思っていた澪は私には何も言ってこない。
 今も。

 大学時代、クラブの合宿の画像の中で、澪を撮ったもの。二人で撮ったものを全部削除した。
 私にも結婚を意識している彼がいる。だが大学に残っている、博士課程に進んだ。おまけに私は東京にいる。私の母が言うには、
「あんたのことを思うと、言えない。自分だけでき婚でも何でも結婚してしまうってことが。今のあんたたちにはこの先どうなるかわからへんし。気を遣ったのちゃう?」
 でもこの母の言葉自体が私に気を遣っていることを知っている。
 親友と思っていた人からの仕打ちに傷つかないようにと……。
 今までの七年は何だったのかな。

 他にも友人はいる。
 私には後ろを向いている時間はない。
 山ほど仕事がある。
 結婚祝いも、出産祝いもしなくていいので、節約できると母は笑った。

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