【連載】掌の物語(12) 幻夢・樹 亜希

 私の前を見慣れた京阪バスが通り過ぎて、ピタリと停止した。まるで何か線でもひかれているかのように。大きな幹線道路、そして買い物客や仕事帰りの人がまばらに、そして足早に通りすぎるけれども、私はまるで迷子のように、思い出を探して歩いていた。正確には、夕方の散歩だった。バス停の横には紫と水色のあじさいがたくさん咲いていた。
 私の横に紺色のスーツ姿の男性が飛んできた。
「おめでとうございます」
「へ?」
「当銀行の新しいクジに見事当選されました」
「何のこと?」
「あ、ご存じありませんか? 今日の新聞はごらんになりませんでしたか?」
「今は、都合により、新聞は毎日読めないのです」
「何は、ともあれ、向かいの当行へ」
「え、ああ。都銀行さんですね。最近ネットから口座を開設したところで、やっとカードが郵送で届きました」
「それはそれは、ありがとうございます」
 私は少し年配の男性と娘ほどの若手の男性行員に囲まれて、信号のある交差点へと歩き始めた。
「おい、待てよ」
 少し後ろから、年配男性の声が飛んできた。
「はい、どうされましたか」
「俺が当たりだろう? このおばさんじゃなくて、俺だよ」
「はあ、大変申し訳ないのですが、私たちは向かいから、きちんと平衡器などを使いまして、計測しております」
「嘘だろう、こいつとおまえたちはグルなんだろうはじめから」
「おい、おっさん。私のことを今、おばさんと言いました? どこに目をつけているの。
当たりは、私で決まりだし、私はおばさんじゃない。いい加減に寝ぼけたことを言ってんじゃねーよ」
 私は宝クジとか、当選とかはあまり信じていなかったし、どうでもよかった。なのに、突然知らない、おっさんにおばさん呼ばわりされたことに無性に腹が立った。
「ささ、お客様。早く行きましょう。あの方は他の行員がフォローしますから、急ぎましょう。騒ぎになると危険です。当選はどこで、誰が当たるのかは全くシークレットでしたから。お店で説明致します」
「はいはい」
 私は少し取り乱して、あのおっさんに挑みかかろうとしていたことが急に恥ずかしくなってしまった。
「どうせ、ティッシュか、なんか。でしょ」
「あらら、本当にご存じないのですか?」
「だから、全く何も知らなくて、散歩していて通りががりました。大きくなった娘と塾の送り迎えのバス停へと来て、少し感慨深くなりましてね。脚が止まりました」
「そうですか。赤と白の京阪バスが幸運の印でして、京都市内の当行の支店を含めてどこかで、止まると当たりということでした。今年九〇周年の記念ですから、宝クジということでしてね。お客様のように、お取引がない場合は当選が取り消しになるのです。よかったですよ。この時間に他の支店の前でも同じようにしていて、これから、賞金が決まるのです」
 私は嘘のような話に、これは詐欺ではないかと、手のひらに汗をかいていた。
 バッグからスマホを出して、夫に電話しようと思った。
「ご連絡は当選が決まってからの方がよいのでは」
「え?」
 なぜ、わかったんだろう。
 二階の応接室のような場所に通された。普段一階は行員や客で埋め尽くされているはずだが誰もいない。何か、おかしい。
「私は騙されているのでは、ないかなと思うんですが」
「いいえ、ご挨拶が遅れました、私、支店長代理の大迫と申します。このものは課員の宮沢です」
 確かに左襟には社章がついている。
 横断幕も何もない、ただ、朱い富士山の絵画が飾ってある、無駄に広い部屋は夕方で薄暗い。
「あ、電気とね」
「怪しいですねえ。何か企んでいませんか? 私を誘拐しても夫はお金なんて出しませんよ」
「おくさま、お人が悪いです。これが今日の協日新聞です。ご覧ください」
 一面広告、これは二千万円ほどの金額の広告と聞いたことがある。
 本当だ、間違いない。先ほど聞いたこととほぼかわりはない。本当のような、嘘のような話だった。
ただ、バスが止まるとか、条件は何も書かれていない。京都の町で何かが起こるとだけ、書かれていた。

 大きなテレビに映された、何人かの様子の中に私もいた。皆は何も考えることなく、京阪バスの横にいる画像で全部で六人いた。
「この方たちが、全員当選者のみなさまで、ランダムで一等から六等まで決まっています」
「何でもいいわ、早くして。これ、新しいキャッシュカードです。名前は書いてあるでしょ。通帳はなくて、スマホのアプリがこれよ」
 私は口早に見せると、大迫はメモして、パソコンを打ち出した。隣には若い男性がいる。
 夫に電話をした、
「なんだかね、銀行のクジに当たったらしいの。え? 詐欺? だよね、思うよね、だから電話したのよ。会議? ごめんなさい」
 電話が切られた。夫は猜疑心が人一倍強い。
「奥様、おめでとうございます。心臓にご病気はないですか? 見事に一等にご当選です。九千万円です。早速、御口座にご入金致します」
「え、何? 九千万、円」
「はい、確定申告が必要になりますよ」
 私はどんどん不安になる。これはおかしい、何かが変だ。早くここから帰ろうと思い始める。外はもうすっかり夜の空だ。
「私、明日は膝のリハビリがあり、早く帰って寝ないとだめなんですよ」
「あ、そうなんですね。スマホの方をご確認くださいませ」
 私はスマホのアプリを開けようとした。もしもこれが本当だったら、信用金庫の口座にも移して、烏丸御池と、四条大宮のマンションが買える。娘と一緒に住める……。
 明日は痛めた膝のリハビリに行くために早朝六時に起きねばならない。

 立ち上がった私は、パジャマだった。部屋の窓の隙間からは朝日が昇ってくるのが見えた。
 なんとなく嬉しい気持ちになった。
 九千万円を何に使おうかと今も思っている。生きている間に使えるのかはよくわからないが、きっと生きているうちに、宝クジはきっと当選することはないだろうと思う。

                                  

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