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【連載】掌の物語⑩ 旅のおわり・樹 亜希
私は誰もいない、一人だけの空間に座って窓の外をみていた。一緒にいたはずの家族はバラバラになってしまい、静かな木の見えるホテルの部屋に座っている。 お金だけは不自由しないだけ、あった。 それは夫にかけてあった生命保険と、会社からの退職金代わりの株式や、自宅を処分したものだった。娘は就職して東京へ転勤となり、そこで知り合った男性と事実婚をした。夫に似て、ドライな性格で、一人娘であることから、入籍はせずに清水の苗字で仕事をしたいことと、子供は持たないという選択を結婚する前から... -
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【連載】写真短歌(6)・・川喜田 晶子
うつし世をはみ出してゐるたましひよ いざまろびゆけ早苗田(さなへだ)の上 川喜田晶子 この現世においては、どうも居心地が悪い魂の持ち主。ともすれば魂の方が、現世の外へ外へとはみ出していってしまう。ところが、そういう人こそ、その現世への激しい憧憬・愛着を抱いていたりするのですから、話は単純ではありません。あどけない表情の稲の赤ちゃんたちがやさしく整列する早苗田は、胸が痛くなるような青を湛えて澄んでいます。日本人の原風景として、〈日常〉の温かな象徴でありながら、かくも青々と澄ん... -
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【連載】掌の物語⑨ いい季節なのに・樹 亜希
私は仕事の帰りに大型マーケットの二階にある、モスバーガーで、野菜が多めのバーガーにかぶりついていた。トマトが唇の端から出てきそうになり、慌てて紙のナプキンで押さえる。 目の下には大きな道路故に、交通量が絶えることはない。 光、ハロゲンの白色とテールランプの赤色が夜の終わりがないことを示しているようだった。 私の住んでいた滋賀県のある場所では、この時間なら最終バスが終わり、自家用車が田んぼや畑の間を数台走る程度のことだった。おまけにバーガー店ということで、外国人の客が多く... -
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【連載】掌の物語⑧ 夢の途中・樹 亜希
きっとまた、私はこの人を好きになる。 そんな感じの出会いがいままさに、起ころうとしている。 今から、二十年ほど前の刑事ドラマが完結しないままに、劇場映画として再び蘇った。あの頃から大好きなキャストたちの大活躍に心躍るスクリーンに涙した、私。 それは特別に涙するシーンでもないのに。 あの時、そう、二十年ほど前にもこんな台詞を聞いたことがある気がした。 隣に座っていた人が少しだけ、私をみたように思えた。 しかし、そんなこと関係ない、今の私には。胸を焦がした歯の浮くような会話... -
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【連載】掌の物語⑦ 思い出搾取・樹 亜希
私は毎日、知り合いも友人もいないこの東京の雑踏の中で一人戦っていた。もちろん先輩や上司、メンターのみんなに支えられて仕事ができていることは承知している。無理にではないが、自然とヒリヒリする現場の中で、疎まれない程度にいい顔ができるようになっている。 どこへ行ってもお姉さんなんでしょ? 弟がいる感じ。とか、お姉さんがいる感じなどと、勝手に想像されるのだが、私は本物の一人娘である。母親が男の子の子育てをしたくないと強く念じて、私が女としてこの世に生を受けた。 それだけに、甘や... -
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【連載】写真短歌(5)・・川喜田 晶子
合はす掌(て)の芯に灯りて 天地(あめつち)をほのかに統(す)ぶる わがれんげ草川喜田晶子 三歳から五歳くらいのことだったでしょうか。ものごころのつき始めた私の〈日常〉のすぐ隣に、春になると広大なれんげ畑が現われました。むさぼるように、その淡い紫のひろがりに眺め入っていた記憶があります。幼い心にその光景は、永遠とか無辺、もうひとつの世界といったものの匂いを、やさしく焼きつけてくれたように思われます。何かを祈るとき、私の合掌の内側には、今も果てしなくひろがるれんげ野が在り、聖... -
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【連載】掌の物語⑥ あの時の約束・樹 亜希
今から考えると、植村くんは私のことはあまり好きではなかったのではないかと感じる。どこへ行く、何を食べる、何を買う、それもこれもすべて私が提案しないと植村君は何も自分では、決めることなどできやしない。それが植村君だった。 私は一人っこで、兄妹はいない。 一方、植村君には弟と妹がいる。 彼の弟は東京大学現役合格、妹は彼の母親が溺愛して、わがまま三昧というパワーバランスの中で、いつしか、自分の主張が何も聞き入れられないことが当たり前になり、その表情にもあるように、いつも死んだ... -
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【連載】掌の物語⑤ 転生・樹 亜希
あなたは何回目? うわぁ、やっちまった。 思った時と、その後数秒のほんの瞬間に、走馬灯なんかなかった。とにかくこの状態からどうしたら逃れられるのかなんて知ったこっちゃない。 目が覚めると黄色い菜の花畑を上空から見ていた。 あ、私はバイクの単独事故で、小雨のなかを横断歩道でスリップして転倒したところまでは覚えていた。黄色い菜の花ににおいはなくて、どうして地上からではなくて、ドローンのような視点なのか、わからない。 隣から声がする。「気が早いね」「そうですか?」「お互いにさ... -
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【連載】写真短歌(4)・・川喜田 晶子
春湖(はるうみ)の抱けるかぎりの現世(うつしよ)の孤独の影に筆浸さまし -
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【連載】掌の物語④ 霧の朝と明日の天気・樹 亜希
目が覚めたときに、寝室のカーテンを細く引くと外は雨で煙っていた。そのまま、鈍い頭の痛みにぼんやりとしていた。それでも時計のデジタル数字は確実に進んでいく。 ベッドから腰を上げてもう一度、外を見た。 あの映画と同じ光景が広がっていた。ミストというアメリカの映画だったと思うが、それを思い出して胸がざわざわした。この霧の向こうには行けないのではないだろうか。不条理劇の映画の再現ではないと信じたくて、窓の外を見るのはやめた。 二条城の壕に植えられた木々はおろか、その向こうの街並...