【連載】掌の物語⑥ あの時の約束・樹 亜希


 今から考えると、植村くんは私のことはあまり好きではなかったのではないかと感じる。どこへ行く、何を食べる、何を買う、それもこれもすべて私が提案しないと植村君は何も自分では、決めることなどできやしない。それが植村君だった。
 私は一人っこで、兄妹はいない。
 一方、植村君には弟と妹がいる。
 彼の弟は東京大学現役合格、妹は彼の母親が溺愛して、わがまま三昧というパワーバランスの中で、いつしか、自分の主張が何も聞き入れられないことが当たり前になり、その表情にもあるように、いつも死んだ目をしていると、時々私のスマホの画像を見る私の母が笑う。

 今度の春には沖縄へ行こうと私が言ったのは、彼が大学院を卒業して就職するから。二条城前の地下鉄の駅まで歩く間に、貸衣装屋さんがある。私は彼の腕を掴んで、ショウウインドウの中のショルダーオフになっている、シルクのウエディングドレスを指差した。
「これ、きれいやとおもわへん?」
「なんか少し、ふるいのかな? 真っ白じゃないな」
「あんなあ、おかんが西陣にいたから知ってるんやけど、真っ白なのはシルク以外で絹は蚕の糸やから、少し黄色みがあるん」
「お母さんは何でも良くご存じやな。博学やし、羨ましい」
 精気がない横顔に影が差す。
 私は胸が締め付けられる。きっと植村君は彼の母親と脳内で比較して落胆したのだろう。いや、違う。ウエディングドレスなどを見せたりして結婚を類推させようとしているこざかしい私のことにうんざりしているのかも知れない。
「あ、これね。毎日ここをとおるやん、私。この横には卒業式の袴があるし。季節を先取りして陳列されているから、目の保養になるから」
「きっとこんな場所にあるから、借りるにしても結構な値段やろな」
「皇族の人たちがよく着てるかんじだしねえ」
「でも、真由が着たら似合うと思う。少し痩せないと、だけど」
「それ、いうか?」
「ごめん、でも少し奥にあるからそう思うのであって、これと同じデザインのサイズ違いもあるかも知れない」
「なんか、着る前提の方向になってるね」
「着たいんじゃないの?」
「他にも色々あるだろうけれど、シンプルで品があるなと思って」

 それは本当に自分の気持ちに正直に言った一言だった。

「来年の分を今から予約することはできるのだろうか?」
 私は彼の横顔を見た。
 相変わらず、表情は何も変わっていない。
 信号がかわって歩き出す。

「真由の誕生日までに結論を出す約束だったけれど、僕の中ではもう、きめているから。うちには弟も妹もいるし、博士課程を卒業したら、入籍しようと思う。僕の両親が何を言っても僕の気持ちは変わらない。島本の戸籍に入ろうと思っている」
「それでいいの?」
「幽霊のような頼りない僕をここまでにしてくれたのは、きみ。何も自分の自我も意思もなくやりたいことや、目標もない生き方をしてきた。だけど、明るくて豪放磊落なようで、心の中は壊れやすいガラスのような繊細な、そして人に優しい真由だから、僕はやっと息をすることができるようになった」
「私の子供みたい。母がいつも言うのよ。スマホの写真を見るたびに」
「でも、ご両親は本当にこんな僕でいいのかな」
「父には言っていないけれども、母はもうお互いに大人なので、二人で決めると良いと思うと言っていた」
 轟々と音が高い、京都の地下鉄の中で話していた。

 私は今日、桜の咲く春の日。
 自分の誕生日に、あの時のドレスを着ている。

「ほんま、このドレスのために痩せられてよかったなあ」
 母が半分泣きながら、スマホで写真を撮っている。
 傍らで父は相変わらず、スマホの画像を見たままだ。

                         了

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