東日本大震災からの復興シンボルとして整備が進められた三陸縦貫自動車道は、今から3年前の2021年12月18日に全線が開通した。宮城の県都・仙台市から、被災した石巻市、南三陸町、そして我が気仙沼市を経て、岩手県では「奇跡の一本松」、昨今では大リーグを目指す「令和の完全試合男」、佐々木朗希投手の出身地である陸前高田市、鉄の町として名を馳せた釜石市、宮古市と北上し、青森県の雄都である八戸市を結ぶ全長359kmの自動車専用道だ。
その中でも、よりシンボリックな扱いを受けているのが気仙沼湾を跨ぐ「気仙沼湾横断橋」。全長は1344m、うち海上部分の橋梁部分は全長680m、2本の橋脚から双方にケーブルを、それぞれ10本ずつ伸ばし、橋を支える「斜張橋」だ。読んで字の如く、斜めに張ったケーブルが橋を吊り上げる構造だ。
さまざまな橋の構造はあるが、海上に位置するため、風の影響が少なく、維持管理がしやすいのに加え、ケーブルが目立たない外観が自然環境とマッチするーなどの理由で斜張橋が選ばれた。
地元記者として、完成予想図や、模型なども見て、期待はしていたが、2本の白い主塔から斜め下に行儀良く伸びるケーブルは優雅であり、その姿はとても優美で、波穏やかな天然の良好として知られる気仙沼湾の景観に溶け込む。実際に、2024度の「土木学会デザイン賞」で最優秀賞を獲得し、そのニュースは、市民の間で大きな話題となった。
21年3月の開通から、まさに気仙沼市の物流を支えるだけでなく、観光スポットとして、または宮城県東松島市にある「鳴瀬・奥松島IC」から北は全て、無料区間として整備されており、私たちも日常的に横断橋を使い、その利便性に感謝する毎日が続いており、今では気仙沼には欠かせない橋となっている。気仙沼湾と橋が織りなす景観の良さから、宮城県のみならず、全国のお天気情報などのオープニングカットとして、よく目にすることも多く、手前味噌ながら、「いい眺めだなあ」と目を細めている。
橋の高さは、海上から32mあり、大型漁船の通行を考慮した十分な高さがある。その高さゆえ、ドライブで橋を渡る際、内湾側と外洋側の2方向の景観を俯瞰することができ、海の上を走る、その高揚感は癖になる。
橋を支える主塔はとても頑丈な造りだ。中でも海上部から立つ北側の主塔は、通常の工法のように海底に土台を置くのではなく、海底を10m掘り下げて設置している。もちろん多くの杭が深く打ち込まれ、土台をガッチリと支える。
11年3月に気仙沼湾にも押し寄せた大津波を経験したことから、再び大きな津波が来襲しても、その威力に耐えうる構造の一環として、万全を期すために取られた。主塔自体も極めて高い安全性を確保している。津波そのものの破壊力に加え、大型漁船や構造物などが主塔に激突しても、橋を守る極めて大事な役割があるからだ。
東日本大震災から14年が、4か月後に迫る。利便性だけでなく観光面でも大きな貢献をしている横断橋だが、それは「復興のシンボル」として、完成を待ち望んでいた、震災直後からの日々を、今も胸に刻む「象徴」でもある。見事な橋を含め、気仙沼のインフラ整備を支えてくれたのは、全国の皆さんが汗水流して働き、その税金から分けて頂いた復興予算で賄われた。もちろん、それ以外にも全国、いや全世界から差し伸べられた有形無形の支援、応援があればこそと、改めて深く頭を下げる。
故に私たちは、皆さんの力で架けていただいた橋に日々感謝し、最大限生かした、未来の気仙沼市をつくっていきたい。そう改めて強く思う。
気仙沼においでの際には、ぜひ、橋を渡り、リアス海岸の景観とともにスラリと伸びる橋の姿をぜひ楽しんでいただきたい。
今日の気仙沼は冬晴れ、私が住む気仙沼市の高台からも気仙沼湾横断橋が見える。その姿を眺め、「今日もいい1日にしたい」と、青空に目を移した。