ギッチョムの気仙沼だより(29)気仙沼産フカヒレ

気仙沼市の観光の顔「海の市」でも多くの販売スペースに並びフカヒレ加工食品
気仙沼市の観光の顔「海の市」でも多くの販売スペースに並びフカヒレ加工食品

  気仙沼の冬の風物詩として、地元紙記者をしていた私が必ず思い出すのが、養殖ワカメの収穫と、もう一つは厳寒期の2月に取材することの多かったフカヒレの天日干し作業だ。先日、私の後輩である地元の新聞記者、テレビカメラマンが取材し、それを紙面やテレビのニュース番組で見た。
 同じ懐かしい光景だし、もう一つ変わらないのが、天日干しの場所についてはいずれの報道機関も「気仙沼市内」とし、場所をそれ以上特定していない点だ。何せ「天日干し」だ。昔もそうだったが、昨今は悪質な盗難が「まさか」と言う場所で発生している。つい先日も、とある神社の銅板張りの屋根が無惨にも盗まれた。そんな罰当たりな「盗み」も起きているのだ。
 フカヒレは、極めて手間暇と技術を有する加工を施す。乾燥作業後にも、企業秘密と言うべき工程があるが、油断も隙もない世知辛い現代、業者にとってはまさに死活問題なのだ。
 実は別段、人里離れた隠密の場にあるわけではないが、よからぬ輩に与える情報量は極力、少なくしたい。
 気仙沼には隣接する岩手県室根町にある室根山(標高895m)から吹き下ろす「室根おろし」と言い習わす乾いた寒風が、その強さを日増しに強める日差しと手を取り合い、フカヒレを極上の1品へと「熟成」させていく。もちろん大部分の乾燥処理を、天候に左右されない工場内で精密に行う業者もいる。
 年をまたいで乾燥させること約3カ月、旨みを凝縮させたフカヒレ。最終的には、あの黄金色に輝く、三日月形の完成となる。
 フカヒレ自体には味はない。コラーゲンがゼラチンになったもので、高タンパク、低脂肪、さらにはカルシウムなどのミネラルも豊富。美肌を保つことで知られるコンドロイチン硫酸も、
 いかにあの食感、そして合わせる濃厚な中華餡(あん)の味をいかに生かすかは、それぞれの加工場、店の腕にかかっている。

 私が、地元で記者として活動し始めたころの思い出を話す。魚市場の中に、黒くて臭い塊があった。近づくと、それはクネクネした黒い色をした魚が折り重なったものだった。鼻を突く強烈なアンモニア臭に、思わず「ウッ」と顔をしかめた。正体はヨシキリザメ。
 よく見ると、尾ビレなどは既に切り取られ、別の場所に置かれていた。このヨシキリザメから取れる尾ビレ、さらには背ビレ、胸ビレとも、フカヒレの中でも高級品となる。
 このほかヨシキリザメとともに気仙沼港への水揚げの多いモウカザメも同様に、フカヒレの素材となる。もちろん身もカマボコ、ハンペンなどの素材として欠かせない。
 元々、サメはマグロ延縄(はえなわ)漁の外道として釣り上げられる。気仙沼魚市場は全国の8割以上を占める。当初は、切り落としたヒレを横浜などの加工業者に売り渡していた。それが香港などで「高級品」として地位を確立していた。
 いわゆる産地とはいえ、付加価値を生み出さない、いわゆる「素通り」産地であった。
 そこに現在は、気仙沼を代表する加工業者となった石渡(いしわた)商店の初代社長が、気仙沼に買取りに来ているうちに「現地で加工したものを売り込もう」と、加工場を昭和32年に設立。ここから同業他社も続き、切磋琢磨しながら高級素材として加工技術に磨きをかけてきた。
 テレビなどでフカヒレ料理が紹介される場合、「気仙沼産」と冠されることが多く、地元民としては胸を張る心持ちであった。ただ、多くの高級素材産地「あるある」、地元でフカヒレを食べたことがある人は少なかった。
 そこに地元すし店である「あさひ鮨」が1970年代に「フカヒレすし」を考案。21世紀を迎えると地元すし店が手を取り、気仙沼名物として提供。さらには姿煮を載せたフカヒレラーメンなど商品開発が活発化。レトルト化した土産品の定番「フカヒレスープ」から始まり、フカヒレアイスなどフカヒレのコリコリとした食感を生かしたメニューとバラエティーに拍車がかかっている。
 市内の小学校の給食にも年に数度登場するなど、カキもワカメもそうだが、地元で愛されてこそ食材は地に足の着いたものとなる。
 昨今の話題としては、フカヒレ料理で名を馳せた名シェフが気仙沼に移住し、フカヒレ専門店をオープンさせた。 今後も様々なアイデアが「フカヒレのまち・気仙沼」と伴走してほしい。
 当コラム29回目に、全国的に知名度の高いフカヒレの登場となった。まだまだ続く予定だが、気仙沼は、人口6万人弱の小さな田舎まちだが、そこは日本を代表する「ザ・港まち」として、そのローカル&グローバルを深化させたいところだ。

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