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東洋のVenusを画いた清長展・横山 實コレクションより
日 時:6月24日(火)〜29日(日) 11時〜19日会 場:武蔵屋画廊 世田谷区北沢2-32-8 小田急線・京王井の頭線下北沢駅 徒歩3分お問合せ :tel 03-3468-0330 杵屋 江戸歌舞伎の芝居絵・役者絵を担う鳥居派ながらも、同時代絵師の作風に学び、写生で培った独特の様式を生み出し、天明期の美人画界をリードした清長の名品を展示。画題と同テーマの歌舞伎音楽(長唄)、謡曲・仕舞のライブ公演も同時開催します。 202506 清長展 チラシダウンロード -
シーボルトの江戸への旅路・横山 実 全17話
横山 実さんの連載「シーボルトの江戸への旅路―東海道五十三次の浮世絵で辿る― 」の全17話をご覧ください。連載期間:令和6年4月〜令和7年1月 -
【連載:最終回】シーボルトの江戸への旅路 No.17―川崎から江戸までの旅(終わり)―横山 実
1.4月10日(月)―川崎からの出発 シーボルトが宿泊した川崎宿は、慶長6(1608)年に宿駅伝馬制が制定された時は、正式な宿場ではありませんでした。品川宿と神奈川宿との間が、往復十里と長かったために、元和9(1623)年になって、宿場に認定されたのです。川崎宿は、砂子・久根崎・新宿・小土呂の4町から構成されていて、本陣は、田中本陣・佐藤(惣左衛門)本陣・惣兵衛本陣の三つがありました(私が子ども時代に住んでいた家は、東海道が通っていた砂子の小土呂橋の近くでした)。シーボルト一行は、そのい... -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.16―藤沢から川崎までの旅―横山 実
1.4月9日(日)―藤沢からの出発 シーボルトの一行は、「朝激しい俄か雨をついて」(シーボルト著・齋藤信訳『シーボルト参府旅行中の日記』(思文閣出版、1983年)100頁。以下、この本は、『日記』と略記します)藤沢を出立しています。その後で、戸塚などの村々を通っています。シーボルトは、戸塚宿と保土ヶ谷宿について、日記に書いていません。彼が通り過ぎた二つの宿場を、浮世絵に基づいて説明しておきます。 図16-1.東海道五拾三次之内 戸塚 元町別道 徳川家康は、豊臣秀吉の命令による関東移封で... -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.15 ―小田原から藤沢までの旅― 横山 実
1.4月8日(土)―小田原からの出発 シーボルトは、朝、小田原を出発しています。小田原は、「かなり大きな町で、入り口と出口に門と番所があり、店は少ないー娼家が多く、中から朝のふしだらな衣裳をまとった女たちがわれわれに秋波を送っていた」(シーボルト著・齋藤信訳『シーボルト参府旅行中の日記』(思文閣出版、1983年)98頁。以下、この本は、『日記』と略記します)のです。 図15-1.東海道五十三駅道中記細見双六で描かれた小田原 広重が画いた東海道五十三駅道中記細見双六(以下においては、「... -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.14 ―沼津から小田原までの旅― 横山 実
1.4月7日(金)―沼津からの出発 シーボルトは、ビュルガーとともに、箱根に行く準備のために、4時頃に出立の準備にとりかかっています。夜明けとともに宿を出ましたが、間もなく朝日が昇ってきました。三島村の近くで「私は、意を決してビュルガー・・とともに乗物をおり、必要な器具を携えて急いで先行した」(シーボルト著・齋藤信訳『シーボルト参府旅行中の日記』(思文閣出版、1983年)94頁。以下、この本は、『日記』と略記します)のです。三島村では、大明神という神社を見ています。 図14-1.東海道... -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.13―蒲原から沼津までの旅―横山 実
1.4月5日(水)―蒲原での滞在 図13-1.東海道五十三對 蒲原乃駅 保永堂版の広重の「東海道五拾三次之内」シリーズが、大ヒットしたので、版元は競って趣向を凝らした東海道五十三次物を出版するようになりました。歌川国貞(後の三代豊国)が画いた「東海道五十三次之内(通称・美人東海道)」では、東海道の宿の風景と美人がとりあわせて画かれました。また、役者絵を見立てた「見立役者 東海道五十三對之内」も出版されています。そのような流れの中で、天保15(1844)年から弘化4(1847)年にかけで出版... -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.12―府中(現在の静岡)から蒲原までの旅―横山 実
1.4月4日(火)―府中(静岡)からの出発 シーボルトは、激しい雨の中、府中を出立しましたが、まもなく数軒の小さな店に気付いています。「家々には十二羽あるいはもっと多くのウズラを入れた小さい鳥籠が掛っているのが、よく目についた。この鳥は、ここから余所の地方に広く売られていて、啼き声の良し悪しによって小判一枚ないし二枚の値段がする」((シーボルト著・齋藤信訳『シーボルト参府旅行中の日記』(思文閣出版、1983年)87―88頁。以下、この本は、『日記』と略記します)のです。シーボルトは、... -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.11―日坂から府中(現在の静岡)までの旅―横山 実
1.4月2日(日)―日坂からの出発 日坂宿は、比較的小さい宿場で、天保14(1843)年の記録によると、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋33軒等、家数168軒で、住民数は750人でした。大田南畝(1749年-1823年)の「改元紀行」によると、ここではわらび餅が売られていました。また、峠越えをしてきた旅人の足の痛みを治癒する足豆散・足癒散等も売っていました。 シーボルトは、宿を出て山地を通り、東海道の三大難所(峠)の一つとされる小夜の中山へと向かいました。彼は、小夜の中山には「鳴らすと願をかけた人に銭... -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.10―吉田(現在の豊橋)から日坂までの旅―横山 実
1、3月31日(日)―吉田からの出発 シーボルトは、3月30日の夜に吉田宿に到着したので、吉田をほとんど見ていません。 図10-1.東海道五十三駅道中記細見双六で描かれた吉田 広重が画いた東海道五十三駅道中記細見双六(以下においては、「双六」と略称します)での吉田の絵では、豊川に架かる豊川橋の向こう側に城が描かれています。吉田城は、天正18(1590)年に豊臣秀吉の命令で家康が関東に転封された後、池田照政(輝政)が城主となっています。彼は、城の拡張や城下町の整備を行いましたので、吉田城は...
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