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見角 悠代(みかど はるよ)・音楽家への軌跡(5)
第5回 大学院での2年間は飛ぶように過ぎました。かつては助演だったオペラにも、キャストとして出演させて頂けるようになり、時折思った通りの声が出せるようになったような気がしたり、友達を相手に宇宙人みたいな会話もできるようになっていたかもしれません。 ある時、「コロラトゥーラソプラノ」というキーワドであれこれ探しているうちに、その代表格である「ナクソス島のアリアドネ」というオペラの『ツェルビネッタ』という役が歌う「偉大なる女王様」というアリアに出会いました。それをきっかけにリヒャ... -
【連載】ギッチョムの気仙沼だより(12)気仙沼ホルモン
*写真は、ホルモンを焼きつつ、ビールを飲む至福の瞬間。撮影場所は「お福」店内。 俗に言う「ご当地・B級グルメ」。 気仙沼では、脂の乗った戻りガツオ、塩焼きサンマ、全ての味覚を堪能できるホヤ、秋以降に旨みを増すカキ、メカジキ…などなどの豊富な魚介類、さらには隠れた名産であるマツタケ、きれいな水が育む酒米から造られる地酒、あっ!忘れてはいけないフカヒレなどなど枚挙に暇がないA級グルメが盛りだくさん。 そんな大谷翔平選手クラスの名グルメに対して、気仙沼人にとって愛してやまない肉料... -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.11―日坂から府中(現在の静岡)までの旅―横山 実
1.4月2日(日)―日坂からの出発 日坂宿は、比較的小さい宿場で、天保14(1843)年の記録によると、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋33軒等、家数168軒で、住民数は750人でした。大田南畝(1749年-1823年)の「改元紀行」によると、ここではわらび餅が売られていました。また、峠越えをしてきた旅人の足の痛みを治癒する足豆散・足癒散等も売っていました。 シーボルトは、宿を出て山地を通り、東海道の三大難所(峠)の一つとされる小夜の中山へと向かいました。彼は、小夜の中山には「鳴らすと願をかけた人に銭... -
一枚の写真「空の景色に」・・太宰 宏恵
最近の空はとても美しく、 その表情は刻一刻と変わり、 ずっと眺めていても飽きない程です。 10年前の日本の空は、こんなに高く、 光が澄んで、ドラマチックだったでしょうか? ほぼ360度、空が見渡せる場所から、 5分毎に飛行機が下降してくるのが見えました。 光と雲だけの空よりも、 飛行機の登場により、 ぐっとその景色に引き込まれ、 慌ててシャッターを切ります。 空には毎日多くの人が居るのだと思うと、 不思議な気持ちに包まれ、 飛行機が見えなくなるまで、 その景色をしばらく見つめていました。 -
【連載】写真短歌(9)・・川喜田 晶子
君にだけ軌跡の見える火矢ひとつ つがへて秋の芯を射るなり 川喜田 晶子 その人にしか見えない世界を歌う歌。その人にしか見えない世界をその人にしか描けないように描く作品。それらが〈個〉の殻を打ち破って他者に届くのは、思えばとても不思議なことです。この人は、自分のために歌ってくれているのではないか。自分のために描いてくれているのではないか。この人はなぜ、自分の心の扉をこんなにもやすやすと開けてしまうのだろう。少し青春の匂いのする、そのような出逢いの甘さも苦さも掬い上げつつ、孤独... -
【連載】掌の物語(15)たくましいトンボ・樹 亜希
会う人みんなが言う。「もう、暑いのは飽きた」 京都では、年々夏の期間が長くなり、冬になればまた、底冷えしてたいそう冷える。なのに、体温を越えて、四十度近い気温が何十日も連続すると、からだから精気が汗とともに、流されて行く気がする。 私がまだ、学生で若かった頃は祇園祭が楽しみで、大文字もそこそこ嬉しく思った。本当は宗教行事で故人がお盆の間におもどりになり、また、彼岸の向こうへお戻りになる。それが大文字の送り火なのだ。 「今年は一緒に行けるよね」「いや、まだ、だめだ。誰が見て... -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.10―吉田(現在の豊橋)から日坂までの旅―横山 実
1、3月31日(日)―吉田からの出発 シーボルトは、3月30日の夜に吉田宿に到着したので、吉田をほとんど見ていません。 図10-1.東海道五十三駅道中記細見双六で描かれた吉田 広重が画いた東海道五十三駅道中記細見双六(以下においては、「双六」と略称します)での吉田の絵では、豊川に架かる豊川橋の向こう側に城が描かれています。吉田城は、天正18(1590)年に豊臣秀吉の命令で家康が関東に転封された後、池田照政(輝政)が城主となっています。彼は、城の拡張や城下町の整備を行いましたので、吉田城は... -
【連載】掌の物語(14)居座る者と去る者 ・樹 亜希
私はことさら夏の暑さに弱い。 外気温が三十五度を越える京都の夏には、もうどうすることもできない。手も足も出ないどころか、私は鼻先も出すことはできない。しかし、やんごとなき事情ということは、往々にしてある。困ったものだ。通院だけは欠席、キャンセルは不可避。 タクシーに乗って出かける罪悪感から、逃れることはできない。 夜半になれば、涼しいのではないだろうかと、試しに自転車で夜の七時に出てみた。しかし、それが間違いであることに気が付くのは安易である。 吹き出す汗。 熱せられた... -
【連載】ギッチョムの気仙沼だより(11)気仙沼とフェンシング
凱旋パレードに臨むロンドン五輪フェンシング日本代表メンバーら。左から2番目に当時の千田選手、1人おいて菅原選手=2012年8月12日、気仙沼市田中前 佐藤紀生撮影 2024年、フランス開催のパリオリンピック。今回も日本人選手はフェアプレーに徹し、懸命な戦いを繰り広げた。その中には、金2個を含む5個のメダルを獲得したフェンシング日本代表の躍進も含まれる。しかも男子個人エペ、同団体フルーレでは共に初の金メダル。男子団体エペで銀メダル、さらに女子はフルーレ、サーブルの団体で初の銅メダル獲得と... -
【連載】写真短歌(8)・・川喜田 晶子
天地(あめつち)にはじめましてを言ふ前の儀式のごとく日々蕾みをり川喜田晶子 今まさに開こうという桔梗の蕾の中には、どれほどの宝物が詰まっていることでしょう。はち切れそうなそのふくらみを見るたびに、目が開く前の乳児の世界風景を想い描いてしまいます。大人になってゆけば切り棄てなければならない幼児性ではなく、大人になってゆくためにこそ必要な、あらん限りの幼児性のきらめきと、おそらくは数々の前世の記憶が適切に濾過されてできた雫もまた満ち満ちて。そのような記憶をたぐり寄せながら、今日...