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シーボルトの江戸への旅路・横山 実 全17話
横山 実さんの連載「シーボルトの江戸への旅路―東海道五十三次の浮世絵で辿る― 」の全17話をご覧ください。連載期間:令和6年4月〜令和7年1月 -
【連載】写真短歌(13)・・川喜田 晶子
翼といふ問ひに命を与ふべく湖(うみ)に呼吸をなじませてをり川喜田晶子 〈翼〉のイメージは、いつも私たち人間に、ひとつの問いを投げかけているように思われます。「現実をどのように超えますか?」という永遠の問い。超えるとはどういうことで、どのような力によってそれが可能となるのか。飽きもせずそのようなことを考えながら、この一年も生きてゆくことになりそうです。 -
【連載】ギッチョムの気仙沼だより(16)「ふるさと納税」
気仙沼市ふるさと納税公式サイトhttps://kesennuma.furusato-nozei.jp/ 気仙沼市に寄せられた2024年度の「ふるさと納税」の寄付額が昨年末で既に100億円の大台を大きく超え、112億7000円に達したことを市は明らかにした。前年度(2023年度)、東北で最多を記録した94億円から更に上積みをし、初の100億円台に乗せた。本年度の「東北一」連覇も見えてきた。 4年前の20年度には4億円だった気仙沼市への「ふるさと納税」寄付額は、21年度に14億円、22年度に49億円、前年度の94億円と倍々ペースで増加してきた。前... -
一枚の写真「光・新年に」・・太宰 宏恵
新しい年を迎えました。 節目ではありますが、いつもと変わらない日常も大切にしたい気持ちもあり、変わり映えの無い、普段の景色からの一枚を選びました。 枯葉にあたたかな光が通り、それが夕方に点灯した街灯のようで、見ていると、何故かとても救われた気持ちになりました。 「一枚の写真」は、毎月、私という小さな人間が、狭い生活範囲の中で見つけたり、出会った景色をご紹介しているわけですが、今年の視点はもう一回り、狭く小さなものになるかもしれません。 そんな写真にお付き合いくださる皆さま、い... -
【連載:最終回】シーボルトの江戸への旅路 No.17―川崎から江戸までの旅(終わり)―横山 実
1.4月10日(月)―川崎からの出発 シーボルトが宿泊した川崎宿は、慶長6(1608)年に宿駅伝馬制が制定された時は、正式な宿場ではありませんでした。品川宿と神奈川宿との間が、往復十里と長かったために、元和9(1623)年になって、宿場に認定されたのです。川崎宿は、砂子・久根崎・新宿・小土呂の4町から構成されていて、本陣は、田中本陣・佐藤(惣左衛門)本陣・惣兵衛本陣の三つがありました(私が子ども時代に住んでいた家は、東海道が通っていた砂子の小土呂橋の近くでした)。シーボルト一行は、そのい... -
明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします。 -
年末年始休業のお知らせ
きらめきぷらす編集部は、12月28日(土)から1月5日(日)まで、お休みをいただきます。サイトへの掲載、お問い合わせへの対応など、1月6日から再開いたします。この1年、執筆者の方と閲覧者の方には大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。 -
【連載】シーボルトの江戸への旅路 No.16―藤沢から川崎までの旅―横山 実
1.4月9日(日)―藤沢からの出発 シーボルトの一行は、「朝激しい俄か雨をついて」(シーボルト著・齋藤信訳『シーボルト参府旅行中の日記』(思文閣出版、1983年)100頁。以下、この本は、『日記』と略記します)藤沢を出立しています。その後で、戸塚などの村々を通っています。シーボルトは、戸塚宿と保土ヶ谷宿について、日記に書いていません。彼が通り過ぎた二つの宿場を、浮世絵に基づいて説明しておきます。 図16-1.東海道五拾三次之内 戸塚 元町別道 徳川家康は、豊臣秀吉の命令による関東移封で... -
【連載】ギッチョムの気仙沼だより(15)「気仙沼湾横断橋」
気仙沼湾横断橋をくぐり、魚市場を目指す漁船 東日本大震災からの復興シンボルとして整備が進められた三陸縦貫自動車道は、今から3年前の2021年12月18日に全線が開通した。宮城の県都・仙台市から、被災した石巻市、南三陸町、そして我が気仙沼市を経て、岩手県では「奇跡の一本松」、昨今では大リーグを目指す「令和の完全試合男」、佐々木朗希投手の出身地である陸前高田市、鉄の町として名を馳せた釜石市、宮古市と北上し、青森県の雄都である八戸市を結ぶ全長359kmの自動車専用道だ。 その中でも、よりシン... -
【連載】写真短歌(12)・・川喜田 晶子
うつし世に君のかたちを彫るための爪のごとくに はつ冬の月 川喜田晶子 スサノオノミコトが大暴れして高天原から追放された時、その髭や手足の爪を全て抜きとられたといいます。狂暴さの再生をシンボリックに封印されたのでしょう。秩序の世界からどうしてもはみ出してしまうスサノオ的な情念は、わたしたちの〈爪〉に今も身を潜めているでしょうか。西の空に懸かる夕月のほっそりした横顔を見ながら、自分の中の〈スサノオ〉探しをする年の暮れです。