合はす掌(て)の芯に灯りて 天地(あめつち)をほのかに統(す)ぶる わがれんげ草
川喜田晶子
三歳から五歳くらいのことだったでしょうか。
ものごころのつき始めた私の〈日常〉のすぐ隣に、春になると広大なれんげ畑が現われました。むさぼるように、その淡い紫のひろがりに眺め入っていた記憶があります。
幼い心にその光景は、永遠とか無辺、もうひとつの世界といったものの匂いを、やさしく焼きつけてくれたように思われます。
何かを祈るとき、私の合掌の内側には、今も果てしなくひろがるれんげ野が在り、聖なるなにものかへのアクセスを手助けしてくれているかのようです。