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連載
【連載】写真短歌(24)・・川喜田 晶子
穂芒と指からめたりほどいたり風に融けたり空焦がれたり川喜田 晶子 この一年、人とどれほど深く触れ合えたでしょうか。その深さが、相手や自分を苦しめないように歪めないように振る舞えたでしょうか。風のような軽やかさに近づけたでしょうか。地に足をつけて空に焦がれもしたでしょうか。どなた様もどうか良いお年をお迎えください。 -
連載
【連載】一枚の写真「荒地」・・太宰 宏恵
普段、私が撮影したくなるきっかけはいくつかありますが、ひとつは、純粋に「美しいな。」と、感じた時。そしてもうひとつは、対象物から強い何かを感じて、引っ張られた時。 今月の写真は、後者の理由で撮影しました。 普段であれば、さっと通り過ぎてしまうであろう、決して綺麗とは言えない荒地から、言葉にならない「密」のエネルギーをどーんと受けて、写真として現れたこの景色。 不思議なもので、実際に自分の目で見ていたものよりも、ずっとリアルに、この場所を表してくれているような気がします。 この... -
連載
ギッチョムの気仙沼だより(27)「海と生きる・気仙沼湾の防潮堤」
目の前に気仙沼内湾の穏やかな港の景観が広がる。湾口北側にはエビス像の立つ「浮見堂」、そして対岸にはサンマ船が舫う岸壁。そして南に向かい、遠洋マグロ船などの大型船がずらりと並ぶ桟橋へとつながる。 凪いでいる気仙沼内湾は、まるで湖面のよう。この景観こそが気仙沼の核とも言える私たち・気仙沼人の「命」でもあるのだ。 海の幸をもたらす海への出入り口であり、なりわいの場であり、そして生活の底を支える私たちのランドマーク。まさに「海と生きる」と決めた私たちの精神に根差した原風景なのだ... -
編集部より
編集部(株式会社エン)は移転しました。
ご案内が遅くなりましたが、11月26日に引っ越しをしました。 ご協力頂いた皆様、ありがとうございました。 -
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【連載】写真短歌(23)・・川喜田 晶子
うつし世の手垢のつかぬもみぢ葉の ひとりでもなくふたりでもなく川喜田 晶子 人の目に消費されていないひとひらのもみじ葉をこっそり楽しみました。古びた神社の舞殿で、己れの影と仲睦まじい葉っぱの姿は、他者や社会への気遣いだの自意識だのからはるかに遠く、しみじみと満ち足りておりました。ひとひらの葉っぱではありますが、それは、ひとりとかふたりとか、この世のものさしで数えてはならない輪郭を持ち、軽やかにあたたかく、凜としているのでした。 -
連載
【連載】ギッチョムの気仙沼だより(26)・「海の子 ホヤぼーや」
「海の市」にある「ホヤぼーや」グッズ専門店 気仙沼市の都市ガスステーションにも「ホヤぼーや」 気仙沼市の「ゆるキャラ」と言えば、文句なしで「海の子 ホヤぼーや」。その名前の通り、三陸地方の夏を代表する海の幸、養殖で栽培されるホヤから生まれた「海の申し子」。頭の形が「海のパイナップル」と称されるホヤの色とゴツゴツしたこぶと、そして角のように飛び出る突起の先に「➕」と「➖」の切り込みがある。実はこれ、「➕」の方が「吸水孔」。海水を吸い込み、その中にいるプラン... -
編集部より
「港まち記者の卒論」宮脇書店 気仙沼で販売開始
「港まち記者の卒論」〜気仙沼人との泣き笑い見聞録〜気仙沼市の宮脇書店 気仙沼で販売が始まりました。気仙沼市の方、近郊の方、ぜひ店頭でお買い求めください。 -
連載
【連載】一枚の写真「天空から」・・太宰 宏恵
先日、今にも熊が出てきそうな山道を車で上がった宿に、一晩お世話になりました。 街が見えなくなるくらい高い場所でしたので、美しい朝の山々の景色が見られるかもしれないと、淡い期待を胸に就寝。翌早朝6時、お部屋から障子を引き、外に広がる一面の雲海の景色に、思わず絶句です。 「気温差の多い日に雲海は見えるのですが、昨夜は急に気温が下がったので、、、、こんなにきれいに雲海が見られるのは、今シーズン初かもしれません。」と、後に宿のスタッフの方が教えてくださいました。 雲の様子が刻一刻と変... -
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【連載】ギッチョムの気仙沼だより(25)・「港まち記者の卒論」
今回は、まさに「私事」について書く。 このブログを主宰している細田利之さんが経営する株式会社「エン」の出版事業部から「港まち記者の卒論〜『気仙沼人』との泣き笑い見聞録」を10月9日、出版した。無名以下の著者ゆえ、Amazonからの直販のみ。街の本屋さんでは購入できない。ただし気仙沼だけは、地元の書店でも購入できるようにする予定だ。 内容は、記者時代にいろいろな場面で出会った12組(計22人)へのインタビューと、記者として体験した出来事を四つに分け、オムニバス形式で挟み込んで... -
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【連載】写真短歌(22)・・川喜田 晶子
深々と眠る獣のたましひのさやばしるやうに秋は来にけり川喜田 晶子 〈眠り〉が、人の意識よりも無意識と深く繋がっているのなら、私たちは、眠っているあいだにしかできない仕事を、自分でも知らないうちに成し遂げているのかもしれません。あるいは、だれかの魂と、知らないうちに出逢っているのかもしれません。この世界の〈気〉の動きは、私たちの〈眠り〉が司っている、と考えるなら。深まる秋の眠りの中で、今宵は誰と出逢い、何を成し遂げられるでしょうか。
