見角 悠代(みかど はるよ)・音楽家への軌跡(4)

取材:2023/12/08(SAAL194 にて)

オペラ歌手、音楽家として活躍中の見角 悠代さん。

幼少期から、幾つもの出会いを重ねて舞台で活躍するまでを語っていただきました。
その声と表現力で観客を魅了する音楽家はどのようにして生まれたのか、その奇跡をお楽しみください。

編集長:細田

第4回

あれよあれよと4年は過ぎました。一般大学では卒業論文を書くところですが、音大では卒業演奏をします。4年間のレッスンの集大成です。同級生たちは有名なオペラの独唱を軸に、同作曲家による歌曲や、同時代に関係や影響のあった作品を取り上げていました。4年追いかけてもやはりそんな知識が及ばなかった私は、「はる」を歌うことにしました。私の名前が「はるよ」だから「はる」の歌!ダジャレみたいなことでしたが、キーワドひとつで自由にあれこれを調べまくったおかげで、結果的にはよい選曲ができました。

この頃の私はすでに大学院への進学を心に決めていました。歌うことが楽しかったし、師匠に教わりたいことがまだまだあって、ほかの先生のところへいくことは考えもせず、さっさと都内の一人暮らし物件の資料を手に両親に頭を下げました。両親は何の反対もせず、家を出て声楽家を志す私を応援してくれました。アルバイトなどの私生活も含め、大学生活に充実感を覚え、調子に乗っていた私ですがこの卒業演奏を前に大きな「やらかし」をします。

どの演奏会でもたいていG.P(ゲネラルプローベ=本番と同様の予行演習)がありますが、卒業演奏にもそれにあたる「ホール練習」がありました。「学校の掲示板等に常に留意する」という習慣がとうとう身につかなった私は、学年でたった一人、その申し込みをしなかったのです。ある日「ホール練習のスケジュール表、悠ちゃんのところだけ空欄になっていて時間が書いてないけど?!」と電話が来て、「何の話?」と返事した時のこのみさんの呆れようといったら(笑)

真っ青になった私ですが、その電話のあとすぐに、このみさんはあらゆる友達に相談して、演奏予定時間の短い人を見つけ、残る時間を譲ってもらえるように話してくれていたのでした。このみさんは今でも私が「やらかす」たびに助けてくれる相棒です。

紆余曲折の末、成績順に上から片手で数えられるくらいの、まずまずの成績で卒業した私でしたが、大学院受験こそは諸々ビハインドでいてはだめだ!と思い、猛勉強をしました。友達が宇宙人のように話していた作曲家のことも、世界中の音楽史のことも、もちろん歌の実技も練習に練習を重ねました。つくばまで往復4時間ほど必要だった通学時間がなくなり、24時間音を出すことができた一人暮らし先の部屋は最適な環境でした。かくして私は大学院生となったのでした。

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