
「ちょこざいな小僧め!名を、名を名乗れ!」というセリフは、私たち昭和に生まれた男子にとっては、耳にこびりついている。
昭和30年代生まれの私にとってはテレビアニメで知ったし、それ以前、ラジオドラマで放送された際から始まったとされる。
その「小僧」が「赤胴鈴之助だっ!」と叫び返す、このやりとりがタイトルコールとなり、「剣をとっては日本一に、夢は大きな少年剣士~」という主題歌が流れる。
原作は1954~1960年に漫画雑誌「少年画報」に連載された「赤胴鈴之助」。
ストーリーは、江戸時代末期、主人公の金野鈴之助が、日本一の剣士を目指し、江戸へ。そこで当時、最強の誉を得ていた「北辰一刀流」の道場に入門。厳しい鍛錬を受けながら成長し、悪の組織を打ち破っていくーという痛快なアクション・ドラマとなっている。鈴之助のトレードマークが「赤胴」。必殺技「真空斬り」の掛け声などは、当時の男の子なら、木の枝などを刀代わりにして、チャンバラごっこをする際、全国の神社の境内や空き地、路地裏に響いていた。
「北辰一刀流」は、宮本武蔵と並び称される剣聖・千葉周作が江戸時代後期に確立した流派だ。その流儀は極めて合理的かつ戦術的であり、加えて、鍛錬には竹刀と胴などの防具を身につけて行う「打ち込み稽古」を採用。現代まで続く日本の主要武道である柔道、空手道、弓道などと並ぶ、日本武道協議会が正式に認定する九種目の一つである、まさに現代の剣道であり、その形を決定したのが「北辰一刀流」。そしてその開祖・千葉周作の名を後世まで伝える理由だ。
千葉周作の出身地は長らく、陸奥国栗原郡花山村(現・宮城県大崎市)と、陸奥国気仙郡気仙(現・陸前高田市)という2説があった。しかしいずれも決め手を欠いていた。一方で、小説家・海音寺潮五郎作「日本剣客伝 千葉周作」には、周作の出身地を陸奥国気仙郡気仙沼村(現・気仙沼市)と記述している。海音寺は「通説に従い、気仙沼村にした」と述べている。気仙沼市の郷土史研究者の中にも「気仙沼村」こそが正しい出身地だーと口伝などを拠り所に主張する人もいたが、これも確証がない中、時代は過ぎていった。
しかし。近年、千葉周作の弟である「定吉」が、鳥取藩に仕官した際の身上書の中に、自身を含め周作も気仙沼村生まれとする記述があったことや、他の二兄弟による自筆資料なども加わり、現在では「出生は気仙沼村、その後幼少期を過ごす」が、ほぼ確実となった。
生まれたのは「寛政大地震のあった年」とあり、寛政五年(西暦に直すと1793年)に、気仙沼村本郷(現在の気仙沼市八日町)で生を受け、その後、諸事情あり、父が、6歳直前だった周作を連れ2人のみで気仙沼村を出奔。縁者を頼り、栗原郡荒谷(現・大崎市)に移住。その後、15、16歳の頃、下総国松戸(現・松戸市)に居を移し、本格的に剣の道を進み、その後の流派確立、そして千葉道場の開設へと至る。
千葉道場は、人格形成や精神性の向上を重視し、坂本龍馬をはじめとする幕末の志士や、渋沢栄一ら明治維新以降の日本を支える人材を多く輩出した。現代剣道の発展という「剣の道」だけではなく、現代日本の政治・産業を下支えした精神性にも大きな影響を及ぼした。このことは現在でも高く評価されており、日本魂の核を担う一つになっていると思う。
個人的なことながら、付け加える。私も小学入学直前、(早生まれゆえ)五歳半過ぎに東京都板橋区から、両親の故郷である気仙沼市に移った。五歳半過ぎにもなると、かなり記憶は確かなものとなり、東京での記憶は、両親の記憶とも合わせて検証すると、少なくとも三歳半ぐらいから数々の記憶、父親のスクーターで千葉県まで海水浴に行ったこと、現在の「環状8号線(環八)」が走る小さな谷間の上に家があり、その崖を弟が転がり下り、奇跡的に無傷であったこと、幼稚園の歌、気仙沼に移住する直前にあった西武池袋デパートでの火事で焦げた壁面を東武東上線の駅のホームから父母と見たこと…などなど、鮮明に覚えている。
移住したことにより「東京での記憶は六歳前、気仙沼はそれ以降」と明確に分けることができるのだ。それゆえ東京での記憶は、私にとっては人格の核になるものであり、まさに「三つ子の魂百までも」。その人の土台となる記憶だ。
ゆえに千葉周作が生まれただけでなく、少なくとも五歳までは気仙沼で育ったことは、その後の周作の生き様に大きな影響を与えたと断言できる。
だからこそ、剣聖・剣豪と称される千葉周作の生誕地、幼少期を過ごした場所として、気仙沼を、今や堂々と宣言し、それをPRすべきだと思う。他の二つの出生地説は、時系列的、さらには、一部、「創造」したという告発もある。まあ、他の地区のことだ、あえてあげつらうことはやめる。
以前、日本フェンシング界のブレークスルーとなったロンドン五輪での男子団体フルーレで銀メダルを獲得した日本チームの一員であった千田健太選手が気仙沼出身であることを紹介した。(ギッチョムの気仙沼だより11・気仙沼とフェンシング参照)。
剣道とフェンシング、洋の東西は違えど、同じ「剣の道」。それが現代社会で結びついたのも趣深い。
気仙沼は同じく、前回「岩井崎」の項で触れた、江戸時代末期に活躍した第九代横綱・秀ノ山雷五郎も気仙沼の出身であり、日本九武道の二つ、剣道と相撲のいわばチャンピオン二人を輩出したことは、地元の誉としたい。
今後は、千葉周作生誕の地の石碑をぜひ設置してほしい。八日町は気仙沼市の中心市街地、気仙沼内湾にも近い、観光面でも歴史を彩るものとして、必要と考える。実現を期待したい。
