見角 悠代(みかど はるよ)・音楽家への軌跡(1)

取材:2023/12/08(SAAL194 にて)

オペラ歌手であり音楽家の見角 悠代(みかどはるよ)さん。
初めてステージを観てその声に震えるほど感動したのは2018年9月。
その後、彼女はいくつもの顔を見せてくれました。
大人の恋を演じ歌い上げる艶やかな女性
お嬢さんも登場させてのコミカルなショー
シンデレラの意地悪な継母を演じたときの存在感
どの顔も聴いてくれるひとを楽しませたい、エンターテイメント精神に溢れていました。
この魅力ある音楽家はどのようにして生まれたのか、ご本人に語っていただきました。

編集長:細田

第1回

人との出会いが行先を決めてくれた

この度の取材を受けるまで私は、夢中で目の前のことに取り組み、そのことでおのずと道が開けてきて、流れに乗って進むうちに音楽家になったと思っていました。ですが、お話していくうちに気がつきました。たくさんの出会いを果たし、様々な人に導かれて音楽家になったのだと。その都度、人との出会いが行先を決めてくれたのだと。

その最初にして最たる存在が母です。私が生まれたその年に、彼女は合唱団「Kaffeekränzchen」を立ち上げました。コンビニどころかスーパーマーケットさえほとんどない頃のつくばで、姉を小学校へ送り出し、兄を幼稚園へやり、布のおむつをあてた0歳の私を連れて合唱の指導に公民館へ出かけていたのです。私が泣きだしたりすると母に代わって、団員のおばさまが代わる代わる私を抱いたり、あやしてくださったりしました。母は自宅でピアノ教室もしていたので、どうやら私の定位置はピアノの下だったようです。

6つ年上の姉は勉強も運動もよくできてピアノがとても上手でした。おまけに背が高くて美人な彼女は、私の自慢でした。母と共に姉をピアノ教室に送っていくのですが、凛と張り詰めたような教室の雰囲気や先生の威厳が伝わってくるようでした。5歳くらいの時だったか「ユキちゃんと遊びたい」と言う私に「ピアノを習うならいいよ」と母。「お姉ちゃんの先生は怖いから嫌だ」と渋ると、あっさり「違う先生に」と言われて、その日遊びたさ故に了承したのです。うっすらと記憶に残るこの日のことを、母は全く覚えていないと言います。得意ではないものの、楽譜を見てすぐに旋律を弾いたり、簡単な和音なら苦労なく鳴らすことができるのは、幼い頃からピアノを触り続けているおかげで、そして、それはユキちゃんのおかげかもしれません。

小学校では確か4年生くらいで地元の少年少女合唱団に参加することになります。幼馴染のえみちゃんが先に入団していて、合唱というより、友達と同じことがしたかったのですが、その合唱団の先生は「大っきなおめめをキラッキラさせて入ってきた」とよく覚えていてくださいました。最初の発声はこの大沢先生に教わったことになります。

バスケットボールを夢中で追いかけたり、英語をきっかけに語学の楽しさに目覚めたりした中学校時代には、特別に音楽を楽しむことも、求めることもありませんでした。ピアノは習い続けていましたが、自ら練習することはほとんどなく、いかに言い訳してお休みするかを考えていたような記憶さえあります。

高校2年生になって「進路」の文字がチラホラ出だした頃、先に音楽の道を見ていたのはやはり母でした。都内の新聞社に勤めていた父と、美大へ進んだ姉が過ごす都内の家の近くに音楽大学があり、そこの夏期講習へ行ってみないかと母は言ったのです。ピアノをやる気はすでに全くなかった私ですが、「声楽」があると言うので、「東京で大学に通う」という憧れを感じて行ってみることにします。それが忘れられない初体験の舞台となったのです。

「進路」を意識することもないまま、初めて訪れた音楽大学でした。個人レッスンの指導者を希望することができたのですが、私は用紙を白紙で提出しました。それは、ただ先生を一人も知らなかったからですが、そのおかげで日本を代表するバリトン歌手の先生に担当して頂くことになったのでした。

初めて向かい合う声楽の先生がお姉ちゃんのピアノの先生みたいだったらどうしようと思ったのですが、現れた先生は笑顔で穏やかでした。少し緊張してお話をした後、早速発声練習をしました。今となっては何を言われてどうしたのかをよく覚えておけば良かった!と思うのですが、その時は緊張していて必死だったので、何も覚えていません。ただ、私の体から生まれて初めて出たすごい高音が、教室の窓ガラスをビリビリと共鳴させ、先生と共に私も驚いたのです。そして、もっと驚くべきことに、私自身は実に楽に、苦もなく、その音を出していたのです。さらに不思議なことに私の耳にはあまり大きくは聞こえていなかったのです。

その後も2度のレッスンで木村先生は何度も私を褒めて下くださり、「受験するなら連絡しておいで」と個人的に連絡先まで教えて下さったのですが、若く、事の誉さを理解していなかった私は、「なんか、いい先生に褒められて、楽しかった♪」と、夏期講習の後、またあっさりとバスケと英語の日々に戻っていったのでした。

続く

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