見角 悠代(みかど はるよ)・音楽家への軌跡(2)

取材:2023/12/08(SAAL194 にて)

お待たせいたしました。
見角さんの音楽家への軌跡、第3回です。

音大へ進学した見角さん。
同級生たちから遅れをとっているコンプレックスを感じながらも、素敵な師匠との出会いを得て歌への思いが強くなります。
そして、演技すること、表現することに目覚めた見角さんはオペラの舞台に立ちます。

編集長:細田

第2回

運命の人が導いた音楽への道

高校は進学校だったので、受験希望校を書く紙とはずいぶん早くから何度も向き合っていた気がします。周囲の影響もあって、音楽への興味はほとんどなくなっていた私ですが、それでも夏期講習の後からはいくつかの一般大学名を書いた下に「音楽大学」とだけ書いていたように記憶しています。

やがて、また母によって運命の人の元へ導かれるのです。自分が音楽の道を歩いてきて、姉は美術大学へ進んだので、母はあるいは私を音楽の道に進めることを諦められなかったのかもしれません。

東京藝術大学の教授のところへは、正直に言えば、母のために仕方なくレッスンに伺いました。「君には素質がないからやめなさい」とか「本当に音楽がやりたいのかな」などと問われていたら、やはり止めようかと考えたのでしょうが、その先生は実に穏やかに「面構えも良し。体もしっかりしとる。やってみるのもいい。」と言い、つくばから通える先生を紹介してくれました。本当に歌をやりたいのかは微妙でしたが、この先生の何とも言えない「任意」な感じに、引くに引けなくなった私は、月に2度程、東京までレッスンに通うことになります。

とても嫋やかで、お話する声も素敵で、ピアノもお上手なソプラノの先生でした。音大の受験生としてはとてもスタートの遅かった私に、焦ることもなく、ご自身で伴奏もしながら必要なことを教えてくれました。レッスンの後、きれいなティーカップに紅茶を淹れてくださる先生の雰囲気が、まさに「ソプラノ歌手」という感じでした。「私もこうなるのかな?」と思ってみても、正直全然ピンとこなかったのですが、それでも通っているうちに、何だか一生懸命にやらなければならない気がしてきて、私の受験希望校を書く紙にはいろんな音楽大学の名前が増えていきました。

音楽大学受験では、「イタリア古典歌曲」というのが課題に含まれます。高校では変わらず英語の勉強を必死でしながら、歌うために初めてイタリア語に取り組むことになったのですが、その時困ったのが、Rの発音、すなわち「巻き舌」でした。当時全くできなかった私は、「リラックスするといい」という先生の言葉の通り、お風呂に浸かりながら「ばかやrrro!」「このやrrrrro!」などと練習したのでした。

こうしていつの間にか音大への進路を進んでいた私は、高校の物理や地理などの時間は音楽の先生の下で自習をさせてもらうという学校の協力も得て、音大を受験します。あんなに必死に英語を勉強したのに、なぜ一般大学を受験しなかったのか。1校でも受験していたら今はなかったかもしれません。そちらの道へ導いてくれる誰かに出会わなかったのか、音楽を志すつもりがすでにあったのか。今ははっきり思い出すこともできません。ともかく、私は東京音楽大学へ入学することになりました。東京藝術大學を受験し、実技試験の難関を突破したにも関わらず、新曲視唱の準備を全く怠り、当然振り落とされて不合格という、なんとも親不孝なおまけエピソード付きです。

続く

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