Zoomとは何ぞや?

『最後証言 厭戦』執筆の遠藤美幸先生よりお便りが寄せられました。
遠藤先生は私立大学と国立大学の非常勤講師として今回初めてオンライン授業実施されました。
ご本人曰く“四苦八苦”その様子とはーーー

Zoomとは何ぞや?からのスタート「オンライン授業中です。ご協力お願いします」とリビングに張り紙をして家族に協力を依頼するも・・・
現役大学生ご子息とのやりとりも必見!遠藤先生のとても温かな人間味溢れるお便りです。


シンク下の宝物 
キッチンに座って本を読む、まさに至福の時

「リビング研究者」の苦悩

新型コロナウイルス感染拡大で、大学では大半がオンライン授業を実施していますが、理系の実験や実習などはさすがにオンラインの授業は不可能でしょう。音楽大学の個別指導はあるいはリモート指導も可能かもしれませんが、合唱指導はおよそ無理な話だと思います。企業におけるテレワーク推奨が今では当たり前の流れのように言われていますが、これもインターネット環境が整った、またテレワークが可能な職種に限定されています。
このようにオンライン化の推進にもさまざまなグラデーションがある中で、オンライン授業に四苦八苦している大学の非常勤講師(私)のコミカルな現状をお知らせします。
各大学からオンライン授業の実施の連絡がきたのは3月末から4月初旬で、実施は4月末からでした。「ひと月もない、どうしよう!できるかな?」と不安でいっぱいでした(実は今もです)。すぐに各大学主催の講習会に数回出席しましたが、「Zoomを使ったリアルタイム授業かオンデマンド式の授業でお願いします」と言われても、「Zoomって何ぞや」から始めたので、最初は使用されている言葉すらチンプンカンプンでした。置いてきぼりにされる学生(生徒)の気持を久しぶりに味わいました。
自慢じゃありませんが、学生(生徒)の頃は勉強嫌いの落ちこぼれ。奇跡的に入った大学も途中で辞めて19歳で社会に出ました。社会に出て6年目、25歳になってはじめて本気で学びたくなって今度は会社を辞めて「大学生」になりました。辞めてばかりの人生ですが、始めるためには辞める勇気も必要です。出産、子どもの不登校、介護などで研究生活も中断を余儀なくされてきましたが、不思議と研究は辞めずに細々と続けて、そして何を間違えたか大学の先生という予想もしなかった仕事に就いています。ちなみに大学ではイギリス女性史、イギリス社会史を教えていますが、もう一つ、ライフワークとして「戦場体験」の聞き取りも続けています。「きらめきプラス」では「最後の証言」と称して、昨年2月から連載をさせて頂いています。

脱線してしまいました。話をオンライン授業にもどしましょう。
大学教員の中でもオンライン授業に関する知識と経験には「格差」があります。今回の講習会では、30代の若手の先生がZoomミーティングを開催して「オンライン授業」の手ほどきをしてくださいました。あるZoomミーティングで、学部長の年配の教授が「ちょっと何言ってるのかよくわからない」というお笑い芸人のサンドイッチマンのギャグを連発されていました。「学部長先生」はおそらくサンドウィッチマンをご存知ないと思います。受けを狙っているとは思えないご様子でしたので。私も「学部長先生」と同じ気持ちでしたが、一非常勤講師としてはなかなか「ちょっと何言ってるのかよくわからない」と突っ込めません。もしやニヤニヤしていたのは私だけかもしれませんが…。
 さて、ここからが非常勤講師の「苦悩」が始まります。私は私立大学と国立大学で講義をもっていますが、各大学によってオンライン授業のやり方が異なるのです。学内のネットワーク上の授業管理システムも大学によって違いますので、大学に応じて臨機応変に使い分けなくてはなりません。それでなくともパソコン操作に疎い頭がさらに混沌としてきます。
非常勤講師は大学に「居場所」がありません。これは心理的な「居場所」ではなく、物理的な「居場所」です。当然ながら「研究室」がありません。先任の大学教員には一人一室の「研究室」があります。よって自宅以外でもじっくりと研究に没頭できる場所が提供されています。学生への個別指導や相談なども教室以外でも可能となりますが、非常勤の場合は担当の授業の前後、もしくはSNSでコミュニケーションをとる以外ありません。大学に「居場所」がないので授業に必要な本や資料を毎回、カバンに入れて持ち歩くことが多く、授業時は大きな鞄を担いで臨みます。まったくスタイリッシュではないのです。
今回のようなオンライン授業を実施する際は、この研究室の有無が私には大きな影響を及ぼしています。特にリアルタイム授業でもオンデマンド式授業として録音録画を撮るときでも、どちらにしても私は自宅では落ち着いて授業に臨めないのです。子どもたちに部屋を取られて自分の部屋は一度ももったことがありません。ちなみに夫はサラリーマンで平日は家にいないのですが自室を専有しています。よって私の「研究室」はもっぱら台所とリビングです。そこで本を読み、論文や本も書きます。台所の鍋かまを入れるシンク下の奥にも本や資料を入れています。湿気が気になりますが贅沢は言えません。台所の戸棚の高いところは普段使わない家事用品を入れますが、我が家では様々な研究会の資料などが保存されています。その資料をとるときには、流し台によじ登ぼるのです。よって「リビング研究者」は身軽でなくてはなりません。家族がリビングでドラマを観ていようがスポーツ観戦で盛り上がろうが並外れた集中力で食卓のパソコンに向かって仕事をします。だからご立派な部屋がなくても集中力とやる気さえあれば勉強はできます、と学生にも言いたいです。
しかし、オンライン授業についてはさすがの鍛え抜かれた「リビング研究者」でも苦戦しています。「ステイ・ホーム」で家族は一日中家にいます。リビングは家族の憩いの場で出入り自由な場であり、来訪者のピンポン、ペットの犬が吠えることもあり、油断も隙もありません。「オンライン授業中です。ご協力をお願いします!」という張り紙をリビングの扉に貼りましたが、こっそり入って来られるとかえって気になり笑いそうになります。いつもなら集中できるのにオンライン授業時は妙に気になってしまうのです。学生の顔も姿も見えず、なんか最後まで調子が出ないまま終わります。
 これまでの対面授業では、授業に入る前にいま話題の時事問題を新聞記事などのコピーを配布して話したり、私が最近思っていることなどを面白おかしく話して、学生の心をつかんで授業に入るのですが、オンライン授業ではなかなかそうした時間がもてません。学生のネット環境もいろいろです。パソコンを持っていない大学生も珍しくないのです。まずはネット環境が整い、うまく接続していることが重要となります。その中でいかに効率よくわかりやすくうまく話すかが求められます。
 オンライン授業の先の学生はどのように感じているのだろうか?という心配に見事に答えて、さらに打ちのめしてくれるのが大学4年生の息子です。彼はいままさに某私大でオンライン授業を受けています。他大学の授業をこっそり息子の脇から拝聴し、参考にさせて頂きながら学びの素晴らしさに母は感動しているのですが、息子に「オンライン授業は思っていた以上に疲れるしつまらない。先生の力量が問われる。対面授業以上に差が出る。」とズバズバ言われて、私は見事に粉砕されました。大学側は「このような時だからこそ、今まで以上に『面白い授業』をお願いします」とプレッシャーをかけてきます。
 このようにいろいろ制約や苦労もある「リビング研究者」ですが、切磋琢磨しながらオンライン授業の準備に勤しんでいます。最近、オンライン授業であろうが対面授業であろうが、私の言いたいことをそのまま話せばよいのだと改めて思っているところです。アナウンサーのような良い声でもなく、言い間違えやテクニカルな不手際でお聞き苦しい点もありますが、思えば対面授業でも散々ヘマをしてきたので、さほど変わらないことに気づきました。前向きな「開き直り」です。
 少なからず、新型コロナウイルス感染拡大の予想される状況下ではオンライン授業は有効であることは事実ですし、私も新しい事を学べる機会を得ることができました。切羽詰まった状況でなければZoomを取り入れることもなかったと思います。
 とはいえ、やはり若い学生と一緒に空間と時間を共有できる対面授業の再開を待ち望んでいます。教育的効果もさることながら、ちっとよそ行きの服を着てお化粧をもちゃんとして教壇に立つと俄然やる気がでるのです。