本日は開店なり 山本 信太郎ーーVol27より抜粋

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本格的ナイトクラブとして1959年に誕生したニューラテンクォーター。
連日のショーや、内装、料理、サービスに至るまで当時の世界最高レベルと言われ、皇室、高級官僚、政治家、財界、芸能人、各界のトップが集まる場所であった。
1989年、昭和の終わりとともに閉店。その終焉を迎えた。

 
 
 
 

 
 
yamamoto_012007年春にニューラテンクォーターの歴史と私の半生記ともいえる内容の『東京アンダーナイト』を出版しました。ここで初めて力道山刺殺事件の真相を書きました。1963年12月8日、事件は偶然にも私の目の前でおこりましたが、私が一切口をつぐんできましたので目撃者はいないことになっていました。実際はその現場で一部始終を見ていたのですが。力道山は当時酔ってから来店して乱れることも多かったので、他のお客様のことを考えれば、何事もなく無事にお帰りになれば・・・というのが私の本音でした。しかし、事件は起きてしまいました。力道山が洗面所から出てきたときにその男と鉢合わせのような形になったのですが、その瞬間、向かいあった二人の体はお互いに譲り合っているかのように揺れ動いたのでした。それからはあっという間の出来事でした。あとで、力道山が男の上に倒れ込んだとき、下になった男のとっさに引き抜いたナイフが力道山の重さで刺さったということが分かりました。傷口は浅く、Tシャツにうっすら血がにじんでいる程度でしたので力道山はそのままリキ・アパート内の力道山宅に帰り、それから山王病院に行きました。結局傷は小腸まで達していたことがわかった為緊急手術になり、手術は成功したように思われました。病院からも全治2週間と言われていましたので皆安心していましたら、一週間後に腸閉塞症を起こし、再手術を受け、その4時間後に息を引き取ったのです。麻酔ミスのようにも聞いておりますが、今となっては…。墓場まで持っていくには重すぎる事件でしたので真相が書けてよかったと思ってます。日本人の誰もが大きな衝撃を受けた戦後最大のヒーローの死でした。興味のある方、詳しく知りたい方は本を買ってください(笑)。

yamamoto_02私の半生が人一倍面白いものであったとするならば、その大半は兄弟と呼びあう無二の親友だった俳優、故・勝新太郎さんがいてくれたおかげかもしれません。
勝さんはここに一日座っていたら映画が一本できるなとよく言ってました。 
それぐらい毎日店ではいろんなことがありました。
私は毎日、出来事を忘れないようにと日記のようなものを書いていましたので、出版には随分役立ちましたね。

続きは雑誌 きらめき+をご覧下さい。